【四苦八苦】「五蘊盛苦」から無我 2021/06/26 09:39 Facebookでシェア URLをコピー 報告 【四苦八苦】「五蘊盛苦」から無我☆仏教で言う「苦」のまとめ【四苦八苦】生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊取苦【三種の苦】・苦苦…身体的な痛みとそれに付随する心理的不安(不快感)・壊苦…快楽や喜びの喪失に伴う寂しさや悲しみ(喪失感)・行苦…思い通りにいかないイライラ、歯がゆさ(不満感)【四苦八苦】の中から今回は、「五蘊盛苦」について記す。五蘊盛苦→五蘊への執着の苦しみ五蘊=色・受・想・行・識(身体・感覚・概念・心で決めたこと・記憶)簡単に言えば五蘊盛苦とは「心と身体に執着する苦しみ」<心や身体は私のものか?私とは何か?無我の解説>☆ルアンポ ーがそうであったように 、 「私である 」 「私のものである 」といった無明が晴れ 、感情や思考との同一化や自我概念から自由になって 、 「私ではない 」 「私のものではない 」と悟れば 、 「生 」も 「死 」も 、そして 「愁悲憂苦悩 」といった苦しみ全体もすべて根こそぎ消え去ってしまうということです 。(僧侶が語る死の正体より)痛みの真っ只中にいる人は痛みそのものになってるので、思考による苦しみがない。いわば痛みしかない状態。仰るように、苦しむのは私という概念と同一化してるから。思考に苦しめられるってこと。例えば死んだらどうしよう、ガンになったらどうしようと思い苦しむのは思考と同一化してるからなんよねまあ冷静に考えてみるとわかるが、生も死も人類が想像した言葉、概念にすぎないのよ。人類が生や死の概念を勝手にこしらえて、それについて勝手に思い悩んでいると言えるだろうな。そこを看破すると生も死もないことになる。なあんだとなるのではないかな。あとは生まれてこの方身に染みついているエゴとの折り合いをどうつけるかだろうね。おしまい。☆ヴィパッサナー瞑想というものが初期仏教にある。内面(身体と心)への気づき、外への気づき、価値判断を入れず、あるがままに観察していく観の瞑想法です。思考は私のものではないことが解ってくるだろう。※【上記画像は師よりのヒント】