Test

00:00
Chisako Naito @f:10154300709571694
  • Level 1
  • Fanned 0
自己紹介:

昔はラクロス選手。
今は友達がいっぱいいて、好奇心に溢れる普通の人。

大学からラクロスを始めて、2年生で関東選抜ユースに選ばれて、
3年生でU-21日本代表になってオーストラリアで世界大会にでた。
4年生でベスト12に選ばれた。
ポジションはゴーリー。サッカーで言うゴールキーパー。
その間、返済のいらない奨学金を40万円と50万円もらった。
今考えるとトータル90万円なんてすごい数字だ。
日大からラクロスで日本代表と名のつくものになったのは私が初めてだったし、
1年生の時に弱小4部だった部活を、毎年勝ちまくって毎年昇格させて、
最終的には1部にさせたということで、
日本武道館でやった卒業式で日大総長から優秀賞をもらった。
ameblo.jp/chichiko/entry-10084006068.h..

卒業してからもクラブチームで選手をやったりやらなかったり。
(ORCADEA1年、MISTRAL3年、ロンドンで1年、ARUKAS複数年で今もいちよう所属)
それから、コーチは6年間やった。
母校の日大のコーチと、関東選抜ユースのアシスタントコーチ。
その他ラクロスって名前のつくものはなんでもやったし、
日本中回って武者修行したり、地方の選手に教えに行ったりもしてた。

とっても大好きなラクロスだったんだけど、
会社でパワハラ上司(正確に言うと先輩)について病んだ1年間がわたしの人生を変えた。
もう練習に行って、ボールを投げてもまっすぐに飛ばなくなっちゃった。
その時私が見えていた景色は白黒だったし、視野も相当狭くなっていた。
あんなに好きなラクロスが楽しいものと感じれなくなったので辞めた。

スポーツばかりしてきた私は土日の使い方がわからなくて、
これからどうしようって思ってた。
そんなある日、自分にこんなことを問いかけてみた。

ドラえもんが目の前にいて、
「なんでも叶えてあげるよ」と言われたらどんなお願いをする?

その答えが
「英語を自由にカッコよく喋れるようになりたい。
 そしていろんな人とコミュニケーションしたい。」
だった。

そんなこんなで英語学校FORWARDに入学し、
そこで出会った人たちに多大な影響を受けることとなる。
forwardblog.jugem.jp/?eid=13
s.ameblo.jp/makoto-ishiwata/entry-1151..
ameblo.jp/makoto-ishiwata/entry-117124..

仕事は、「つなぐ」事が使命のNTTに魅力を感じ、
大学卒業後2008年に入社。
人と人、人と社会、今と未来をつなげる事によって見える、
新しい世界を作っていきたいとぼんやり思っていた。
ITを使ってもっと便利でエキサイティングな世の中になったらいいなと今でも思っている。
その反面、ITなんかなくても幸せに生きていけるとも思っている。

最初の2年間は保守エンジニア。そのあと証券会社担当の営業を3年間やった。
そして国内も海外も関係なく物理的にも心理的にもシームレスに働ける人になりたくて、
海外トレイニーに応募し、Dimension Dataという南アフリカに本社がある会社の
イギリスオフィスで1年間働いた。
英語学校FORWARDに行っていなかったら応募していなかったと思うので、
タイミングとそこで受けた影響はとても大きいと思っている。
人生で始めての海外生活はあまりに刺激的だった。
あんな1年間忘れられるわけがない。
petite-lettre.com/tanikei-english/arch..
blog.livedoor.jp/forwardblog/archives/..

そして今は日本に戻ってきて、好奇心に従って楽しそうなことだけやっている。
最近はTokyo Free Walking Tourというグループで、
東京駅から皇居内を案内するボランティアガイドなんかもやっている。
海外からのゲストに喜んでもらうために着物を着始めた。
着物の師範の資格を持っている母に着せてもらっているが、母は寝ていたスキルが活かせて嬉しそう。
根っからの理系頭なので、歴史知識ゼロ。ガイドをやりながら、
一から日本の事、江戸時代の事、文明開化の事などを学びたいと思っている。

2016年9月からウクレレ練習中。

ちなみに、もしCDを出すならこんなタイトルになる。
「昨日と違う自分でいたい」
「東京の坂を感じたい」
「チサコのジレンマ」
(こちらは人生のメンターHidemiのアドバイスによる)

常にプロフィールを更新できる人生でいたい。
続く。。。

ーーー(補足)ーーー

大学は理系で1年生の時の自由研究で、
小学生の時にTV番組「世界まる見え」で見た、
未だに原理がわかっていない謎の飛行物体というものに興味があり
そのUFO(リフター)の実験をして、
140人いる学科の中で、最優秀賞をもらった。
3万ボルトの高電圧をかける実験だったから命がけ。
ameblo.jp/chichiko/entry-10004783438.h..

高校は、担任の先生に熱烈オファーを受け、壁ドンを毎日やられ
やむやむ剣道を始める。剣道2段。最終的には大将になったし、
剣道ではかなり強い千葉県で県大会にもでたけど、毎日辞めたいと思って
泣く泣くやっていた。だって、痛いし、臭いし、冬は冷たいし、夏は暑いし。
(ただ、その反動から「外でのスポーツ」「練習も楽しい」というキーワードで見つけたラクロスで爆発でき感謝している。)

小学生、中学生の時、私は毎日泣いていた。
毎日泣きすぎてメガネの下半分はコーティングが剥がれてきっていた。
それ以外の事はほとんど覚えていない。

そして私は高校の3年生の頃ある出来事がきっかけで、
突如1人で家をでることになった。
もうあれから10年以上たつが未だに実家には帰れていない。
みんなは大変な出来事だったね。と言うけれど、
あの時ホームレスとしてみんなの家を転々とした日々が
今の私の根源をつくっていると思う。
あのとき相談した人たちはみんな私の話を親身に聞いてくれて、
誰一人として悪い人はいなかった。
面倒を見てくれて、家にも泊まらせてくれた。
そして、一緒に生活をさせてもらう中で、沢山の現実も教えてもらった。
普段キラキラしているような人でも、
裏ではいろいろ事情を抱えているものなのだ。
そこでも沢山励まされた。
あのとき助けてくれた人たちがいい人たちだったおかげで、
私は人間が好きになり、
世の中って「人生は〜あなたが〜思うほど〜悪くない〜♩」んだなって思った。
人生いろいろあるな。